よつば日記

リモート会議でホワイトボードへ特定人物しか書き込めない利点

ぱくたそ素材

超絶的に頭脳明晰かつ優秀な元上司が、”ホワイトボード試行” を推進しています。

実はこれ、米国などでは企業の命運を左右するほど重要なのですが、日本では殆ど問題になりません。

ホワイトボードは集団知性の主メモリに相当するのだから、重要で当たり前です。それが日本と欧米で微妙に異なっている訳です。

そしてリモート会議でホワイトボードへ特定人物しか書き込めないのは、特定人物にとって大変な利点となります。

今回はそのあたりのカラクリを、”毒” を吐きながら解説させて頂くことにします。

ホワイトボードの機能

別サイトで紹介しているように、私はPyramid Principleツールの先生をやっています。自らツールを使っていても実感するけれども、人間というのは思考過程で “イメージ(図)” を使用することが多いです。

ちなみにアチコチの超一流ホテルを渡り歩いた “伝説のホテル・コンシェルジェ” によると、特に男性が図的な思考する傾向があるとのことです。例えばホテルから近所の有名レストランの行き方を質問された時、一般的に男性には地図で説明して、女性には言葉で説明するのが良いのだそうです。

それから冒頭画像だけから受ける印象は、人によって様々かと思います。精一杯頑張って、「何かにお手上げ状態で、諦めムードのようだ」程度でしょうか。

その冒頭画像に記事タイトルという一種の “イメージ(図)” まで加わって、「リモート会議で何か話題にしたいのかな?」と “思考の方向性” が決まって来る訳です。だからホワイトボードに書かれた文字や図は、会議の出席者たちの思考に大きな影響を与えます。

あえて言うならば、「ホワイトボードを制する者は、会議を制する」という訳です。 特にブレイン・ストーミングのような会議では、ホワイトボードへ書き込む内容を決める者が “会議のファシリテーター” となります。

何しろブレイン・ストーミング (アイディア考案の “嵐”) だから、整然と「その書き込みは違う。xxだよ」と論理的な発言を通じて、書き込み作業を修正することは難しいです。これは実際に会議をファシリテートしたことがある人ならば、誰でも実感できるでしょう。

つまり “ホワイトボード書き込み役” はファシリテーターという「会議の合意形成や相互理解のサポート役」という役割を超えて、さりげなく会議をコントロールできてしまう訳です。逆に言うとファシリテーションとは、それだけ習得すると役立つ技術なのです。

会議でホワイトボードに進行内容を書き込むのを苦手とする人は多いでしょう。単純に耳に入った言葉を書き込むだけでは済まないのだから、大変なのは当然です。

それだけ重要で有用であるため、数多くの書籍も発行されています。図書館などで何冊か目を通して見て、自分に向いた本があれば挑戦してみると良いでしょう。

ホワイトボードの役割

さて「ホワイトボードの機能は理解できたけれども、”役割” って何?」と感じた方が多いかと思います。

ホワイトボードの利用方法を他人に任せるなど、”生殺与奪の権利” を他人に握らせるようなものです。そして会議によって、ホワイトボードが果たす “役割” も変わって来ます。

欧米の経営会議

ホワイトボードに書き込まれた内容は、全員が異論を持たない内容です。だって異論があれば、消して貰うことが出来ます。

だから欧米の経営者会議では、ホワイトボードへ書き込む者の役割は重要です。最高経営責任者が会議のファシリテーションを他人に任せる場合、任された者(ファシリテーター)がホワイトボードへの書き込み者を割り当てます。

ファシリテーターは書き込み者がコントロールできない場合、遠慮なく担当者のホワイトボードへの書き込み権利を剥奪します。特に会議参加者のレベルが高くなると、ここら辺の駆け引きは壮絶になって来ます。

もちろん会議参加者たちの思考に影響するプレゼン資料や配布資料も、集団知性の意思決定に影響するので重要視されています。Amazonの「パワポ禁止」「箇条書き禁止」といったルールは有名です。とうとう市販の解説本も、2020年9月に出版されました。

ホワイトボードに書き込まれた内容は、「誰もが異論ないこと」です。だから会議の議事録が作成されても、ホワイトボードのコピー内容が優先されます。最近ではスマホで撮影できるので、コピー入手や共有も簡単になりました。

ちなみに以上は欧米の場合であって、日本には必ずしも通用しません。なぜなら日本では会議前の事前調整が重視されており、経営陣が何かを検討&決定する会議を開催することは稀です。あくまで「正式決定の場」として会議開催されるケースが殆どです。

担当者のブレスト&結束強化

さて日本で企業に入社すると耳にすることが多いキーワードが、ブレストことブレイン・ストーミング会議です。皆で忌憚なくアイディアを出し合って、主に創造的なアイディアを生み出すために開催されます。

ブレストではホワイトボードに書き込まれた文字や図から、アイディアを次々と生み出して行きます。だから “誰もが書き込めるホワイトボード” はマスト・アイテムとも言えます。

ちなみに本記事をお読み下さっている貴方は、ホワイトボードを使わないブレストというのに参加した経験をお持ちでしょうか。私に言わせると、それは “雑談” に過ぎません。

(ここから少々、毒を吐かせて頂きます)

何しろ単純に参加者たちの出方を伺いながら、言葉のリレーを繋げて行くだけです。えっ、「自由な発想」ですって?

人間はそんなに便利な存在じゃありません。単純に脳内でイメージや思考を展開するだけの生物です。他人に何か言われてランダムに反応するという現象は、普通は生じません。

それならば昔ながらに温泉などに行って気分転換をして、「合宿」を催した方が良いかもしれません。そういえば20世紀には、しばしば会社の保養所を使って「合宿」したものです。

以上のような実態を承知の上で「ホワイトボードなしのブレスト」を開催する者は、相当タチが悪い性格である可能性もあります。ホワイトボードがないのを良いことに、”ブレスト” という建前の下に、自らの腹案を押し付けようとしている構図です。

特に日本人というのは真面目だから、会議の決定事項には従う傾向があります。もちろんハッキリと「ノー」と言わない文化なので、積極的な肯定とまでは行きません。しかし面と向かって、決定事項に逆らうようなことは滅多にありません。

そもそもこう言っては何ですけれども、基本的に日本人にブレストって必要でしょうか。良いアイディアというのは、ふとした時に生じることが多いです。肩の力が抜けて、意識の方向性が変わった雑談で生じることもあります。

だから雑談から「良いアイディア」が生じることは否定しませんけれども、「良いアイディアを生み出すための雑談」というのは意味不明です。だから “温泉宿” なのです。

「目的を持った雑談」というのは、「雑」とは言えませんよね。ブレストという名の下に、何か別な意図があると考えるのが良さそうです。

と、いう次第で、集団知性として思索や思考を深めるのであれば、その過程を辿るツールであるホワイトボードはマスト・アイテムとなる訳です。

悪意を持っているのでない場合は、対話型学習を進めたソクラテスのように、上位者が下位者を教育するような目的になるでしょうか。対話によって上位者も得るモノはある訳ですけど、ソクラテスは対話でブレストをやりませんでしたね。

まとめ

以上の通りで、ホワイトボードというのは会議運営において大変に重要なツールです。

だからリモート会議でホワイトボードへ特定人物しか書き込めないのは、特定人物にとって大変な利点となります。

説明資料を元にしてイエス/ノー議論をする場合でなければ、集団知性というシステムの主メモリに相当する訳です。これが重要でなくて、何が重要だと言えるでしょうか。

そもそも20世紀の学校では、先生が黒板に学習内容を書き込むことによって、生徒は黒板に意識を集中させていた訳です。ホワイトボードが存在していたら、ソクラテスだって活用したかもしれません。

そして現代はYoutubeなどの動画インフラも整備が進んでおり、単なる知識吸収であれば動画聴講で十分でしょう。ちょうど私の後ろでオンラインチャットしている学生たちも、ゲームで得たノウハウをYoutubeへアップするかどうかを会話しているところです。

こういった人間の特性を熟知して “ホワイトボード試行” を推進している元上司は、流石だとしか言いようがないです。

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:小野谷静 (よつばせい)